• 暮らすように旅したい
プロローグ〜2004年8月

2004年8月も後半に差し掛かり、年末年始のチケットを手配しなければと友人と相談してボホールは5月に行っているので今回も昨年同様、プーケットで過ごすことにしました。成田―バンコク便は超人気で取り辛いので、値段が手頃で便数の多い米国系エアラインになりがちです。今回も不本意ながらノースウェスト(NW)便になりました。

出発直前に

年末の忙しい時期もなんとか乗り越え、出発当日に旅支度をしようと思っていた矢先の2004年12月26日(日)、会社帰りの車中で見たニュースで津波が起きているじゃあありませんか。この時はまだプーケットに行く気満々でした。翌日27日夜になっても私達が予約したサービスの船は避難しているが人的被害が出ているか不明ということがネットでわかっただけで、テレビのニュースでは現地の状況がわかりません。通信インフラが途絶えていればメールも電話も使えないだろうから現地が無事でもそれを伝えることができないのです。ネットによるとビーチロードは水浸し、流されたバンガローが有り、ビーチにいた人が何人か流されたそうですが2000通りは被害無し(実際には浸水していました)、ただし停電があるようでメール/Tel/Faxは厳しいとのことでした。

国際線はキャンセルするともったいないので、そのままとし、プーケット便をどうするか即決しなければなりません。予約したサービスからの情報が届かないので判断に迷いましたが結局出発前日にキャンセルしました。その日の夜、現地サービス及び予約したホテルにキャンセルのメールを出しました。結局、その夜に現地サービスからお店もボートも当日潜っていたゲストもスタッフも全員無事で被害は無く、年末年始も変わらず営業を続けると連絡がありました。

出発日

結局バンコクまでは行くけど、その先は特に決めず出発することにしました。
出発日の朝にパラついていたみぞれは次第に激しくなり、雪に変わりました。
津波、雪と出発を阻むかの様な気象で更に何か起きるのではと嫌な予感がします。幸いにも雪はひどくならず予定よりやや遅れて成田に到着しました。

私達の便はコードシェア便でした。ボーディングが始まりバスによる輸送が始まり、1便が出発し2便に乗りましたがいつまでも出発しません。気が付くと出発ロビーに並んでいた他の乗客がいなくなっています。何か異常が起きたのかと思っていると、滑走路に雪が積もり除雪が必要なため出発を延期する、出発時刻は未定とのアナウンスがありました(それまで飛行機が離発着しているため滑走路に雪が積もっているとは思えないのですが...)。深夜着便なのでこれで到着は真夜中を過ぎてしまいます。私達はロビーに戻り軽く夕食を食べることにしました。

食事が終わった頃、掲示板がボーディングを再開していることに気付きました。搭乗口に降りて行くと閉ざされていて、NWの職員も要領を得ません。この辺り不具合対応マニュアルができていませんね。結局2時間近く遅れて出発しました(1便のバスで搭乗しちゃった人は機内で散々待たされて気の毒ですよね)。

午前2時半(日本時間午前4時半)にバンコクに到着するとやはり普段以上に混んでいます。両替機もお札切れで窓口で換金しました。深夜なので高速道路を使わずに定宿のホテルまで渋滞知らずで到着しました(この当時はスワンナプーム空港はまだ無く、ドンムアン空港で市内へはタクシーくらいしか移動手段がありませんでした)。その日はセブンイレブンで夜食を買ってホテルの部屋で食べて寝ました。

パタヤへ

翌朝はホテルのバイキングで朝食をとった後、取り敢えずパタヤに行くことにし、地下鉄のスクンビット(Sukhumvit)駅を降りBTS(スカイトレイン)に乗り換えエカマイ(Ekkamai)駅前の東バスターミナルに行きました。ここでパタヤ行きのチケット(90バーツ、約243円)を購入し、2時間半のバスの旅を楽しみました。
パタヤは有名な観光地だけに大勢の人で賑わっています。雰囲気はパトンビーチと変わらないですね。ノースパタヤ、セントラルパタヤ、サウスパタヤとエリア毎にアクティビティがはっきり分かれているのが面白いです。

なお、パタヤからバンコクまでは面倒臭くなったのでタクシーを拾って帰りました。1000バーツでした。

再びバンコク

今回は時間がたっぷりあるのでマーブンクロン(MBK)で気が済むまでウインドウショッピングしました。この大きなデパートは、どのくらい大きいかと言うと日本の凄く大きいデパートを凄く大きくしたくらいです。最上階にはボーリング場や映画館が幾つも入っています。カラオケボックスやインターネットカフェも出来ていました(現在ではさらに立派なデパートもありますが、小物から大型家具までなんでも揃うタイのデパートの凄さを思い知らされたものです)。
お決まりの携帯電話フロアーを隅々まで見て回りましたが、私のNOKIA7210用のハウジングは気に入ったのが見つかりませんでした(後日訪れた時に気に入ったハウジングが見つかり着替えました)。

携帯のボディ交換や着フラッシュとかギンギンにチューンするのが当時のこの国の携帯事情でした。クラブに行くと皆、テーブル中央のグラスにポイポイ自分の携帯を放り込んで、電話が掛かってくるとビカビカ派手に光るのですぐ自分にかかってきたことがわかるのです。クラブは周りがうるさくて着信音は聞こえないからね。でもみんなその騒音の中で携帯で話すんですよね。

2005年カウントダウンパーティはライブハウスで

宿泊しているホテルの近くに新しい店ができていて、昼間従業員が店の前を掃除していたのでここは何屋さんですかと聞くと、ディスコだと言います。今夜は大晦日だからニューイヤーパーティを行うのでぜひ来て下さい、と身振りで言っていました(多分)。

23時過ぎに店の前に行くとなんだか楽しそうに賑わっています。どうぞどうぞと招き入れられるまま店内に入ると狭いスペースにひとつだけ空いている席に案内されました。それがステージのすぐ前、バンド演奏を見上げる状態です。歌やダンス、どう見てもオカマに見えるひとりが踊り始めると皆拍手喝采、彼(?)は常連客だそうです。楽しければ何でもアリな所が良いですね。隣のテーブルで女の子が手を振っています。誰だろうと近づくと昼間行ったマッサージ屋の従業員でした。なんだかよくわからないけど同じテーブルで飲んだり食べたりしました。言葉も通じないのに仲の良い友達のように普通に接しているのもこういう店の魔力ですね。
午前0時が近づくと壁の大型プロジェクターでカウントダウン番組(日本で言うと民放の行く年来る年みたいなもの)が映し出されました。カウント0と共に皆その辺りの人と抱き合ったりして正月を祝っていました(旧暦の正月にもまたこんな騒ぎを行うのでしょうか?正月が2回ある国は良いですね)。

うわさの“シャブシ”

ある日、晩飯をどこで食べようかと歩いていると、“Shabushi”の看板が目に入ってきました。ここが噂に聞くしゃぶしゃぶと寿司の回転スタイル、シャブシです。話しの種にと入ってみました。90分間食べ放題、ソフトドリンク飲み放題です(現在ではあちこちで見かけるチェーン店ですが当時は1件くらいしかなかったのです)。
しゃぶしゃぶと言ってもタイ人が想像するしゃぶしゃぶですから...だし汁はチキンスープとホットミルクから選べます。迷わずチキンスープを注文しました。サイドメニューには餃子やチャーハンもあります。
目の前に流れてくる具材を自分専用の鍋に放り込み、寿司を頬張りました。90分も経たずにお腹いっぱいになりました。

エンポリアムデパート

地下鉄のスクンビットで降り、BTSに乗り換えアソーク(Asok)からプロンポン(Phrom Phong)に向かいました。駅前のエンポリアムデパートはかなり高級感があります。どんな感じかと言うとセブのアラヤショッピングモールみたいです。ここにもクーポン食堂があるので、そこで昼食をとりました。同じ階にある他のレストランより安いですが、ロビンソンやカルフールのクーポン食堂に比べかなり高いです。それでも元日だと言うのに大勢の客で埋まっていました。ここは窓際の席が取れると眺めが良いのですが、良い席はすでに満杯でした。

デパートの入り口には真っ白なクリスマスツリーと雪だるまが飾ってあります。雪など見たことの無い人々でも雪だるまのイメージは同じなのでしょうか。異国と思えば同じ所が目につき、同じ人間だと思えば違う所が目につく、海外旅行の楽しさってこんなことを感じることにもあるのかな。

アメリカンスタイルのレストラン

ある日のディナーはアメリカンスタイルのオープンレストランに行きました。道を歩いているとTボーンステーキの文字が書かれた木製の看板が目に飛び込んで来たので、たまにはタイ料理でなくステーキも良いかもと入ってみました。店内はほぼ全て白人客で埋め尽くされています。そこにいる限りアメリカと言われても納得しちゃいそうです。
肉はテキサス風(extreme well-done)で、味もテキサス風でした。タイではポークは美味しいけど、ビーフはあまり美味しい店に出会ったことないのですよね。

トゥクトゥクとタクシー

夜、移動するのに目の前にトゥクトゥクが止まったので、いくらかと聞くと200バーツだと言います。呆れ返って思いっきりかぶりをふると、すぐ100バーツと言ってきます。100バーツも取るならタクシーで行くと言って、そのトゥクトゥクは吹っ切りました。こんなことで乗ってしまう観光客がいるからボルようになっちゃうんですよね。タクシーに乗ってもわざと遠回りされることもあるので、常にどのルートを通っているか確認が必要です。ちなみにタクシーを捕まえる時は、手をあげるのでは無く、腕をまっすぐ伸ばして手を下にして力なくプルプルと振ります。

ホテルに帰るのにまたタクシーを捕まえました。行き先を告げて走り出そうとした瞬間、ドスンという衝撃が...別のタクシーに追突されたのです。振り向くと後ろのタクシーの運転手が照れ笑いしています。私達の乗ったタクシーの運転手はそのまま走り出しました。こんなことは事故のうちに入らないのでしょう。
でも、タイのタクシーは殆どみな善良ですよ。料金もふたりで乗れば電車と変わらないし。有名でないホテルに宿泊している場合、ホテルに近づいたら道案内しないといけませんけど。

エピローグ

帰国後、プーケットに住んでる人から英文メールが届きました。メールの内容は次の通りでした。

「親愛なる皆さん。
プーケットを助けて下さい。皆さんご存知の通りプーケットは災害に見舞われましたが、街の人々は今もう一度脅威に脅かされています。
それは、ニュース報道によってです。
BBCやCNNを含むグローバルな衛星テレビと報道機関によるニュース放送は、この1週間プーケットが津波によって破壊されたという印象を世界中に与えました。
でもプーケットの真実は非常に異なっています。数100人もの人がここのビーチで悲劇的に亡くなりましたが、島そのものについては少ししか被害を受けていません。ほとんどのインフラストラクチャは機能しており、ホテルの部屋の80%以上はいつもどおり営業しています。
わずか数%のレストラン、お店、バーおよびアトラクションが閉鎖されているだけです。
被害にあわれた方、被災地の人々には心から同情しますが、スマトラやカオラックと同様にプーケットを報道するマスメディアはプーケットに害を与える加害者となっています。
どうかプーケットの正確な状況を伝えてください。
本当の状況を見てください。
そして、現実に関するこのメッセージをできるだけ多くの友人に転送してください…
リサ」

確かに被害の無い所を報道してもニュースにならないし、視聴者も興味を持たないので、連日のニュースをあまり良い気分で見ていなかったのですが,現地からの悲鳴に近いメールが来たので,紹介しました.
※メール中のプーケットとはパトンビーチのことです.

 

被災地の復興のためには、そこに遊びに行くこと。やっぱりプーケットまで行けば良かったと後悔しました。





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