• 暮らすように旅したい
プロローグ〜2000年夏

2000年夏、友人から年末にまたボホールに行こうよと誘われ、ボホール珍道中Part2が始まりました。年末年始は航空券の手配が難しく、予約が確定したのが出発の2日前、航空券を入手したのは出発の前日という調子でした。

この時点で12月29日出国、1月3日帰国の予定でした。

またもやトラブル続出

今回はセブ直行便だったので楽だねなんて話していたのですが、セブ港からボホール島へ渡る高速船Super Catが遅れて17時半出航予定が20時半出航になり、セブ港で4時間半も待たされてしまいました。ボホール島に着いてアロナビーチに向かう途中の適当な屋台で遅い夕食を取り、23時半に我らのコテージBOHOL SEA BLEEZEに到着しました。
明日からのダイビングに備えて水中ライトのバッテリを充電しようとしたら、充電器が故障しているではありませんか!先週の伊豆ダイビングでは全く問題なかったのに!このコテージではAC100Vで日本の電気製品が使えますがやっぱりフィリピン。充電器から薄ら煙が上がってました(この頃のエポック社のACアダプタは脆弱でAC100Vを少しでもオーバすると壊れました)。
気を取り直してビデオカメラTRV-900をハウジングにセットし各部の点検をしたら、電源のON/OFFはできるけどそれ以外の操作が全て出来ない!先週は全く問題なかったのに!またもやリモコン部の不具合です。
このソニー純正ハウジングMPK-DVF2は本当に買ったときからトラブル続きです(頑丈さは素晴らしく、与圧部とアーム部を別々にするという設計思想は正しいのですが)。これでビデオは陸上撮影専用になってしまいました。でも、こんな事もあろうかと思ってニコノスVも持って来ていました。

オオカマスの群れ

初日のポイントはバリカサグでした。透明度は20mも無く大物を期待させる濁った感じです。壁沿いにゆっくり流していくと、ガイドが碧一色の向こうを指さしています。目を凝らして見つめると、碧の中に何か塊が動いています。次第に塊がはっきりしてくるとオオカマスの群ということがわかりました。フィンをキックして群に近づき何枚かシャッターを切りました。もっと近づきたかったのですが、ちょっと怖い感じです。
ゆっくりと群がまた碧一色の中に消えていきました。この最初の1本が今回6本のダイビングの中で最も印象的なダイビングでした。

オオカマスの群れ
オオカマスの群れ
トラブル未満

今回一緒のボートの中にヨーロッパ系の4人家族が乗っていて娘さんだけがダイビングをしていました。スリムな体に似つかわしく無いウェイト量で水中でもやはり体が立って泳いでいます。職業柄ではありませんがダイビング中はメンバーの中のビギナーに目が行ってしまうもので,それとなく様子を伺いながらダイビングを続けました。バリカサグはゆっくりとしたドリフトなのでビギナーでも疲れることなく楽しめます。こういう時はベテランも体を立てた姿勢でいることもありますが、常に自転車漕ぎのバタ足をしているので如何にもビギナーという感じでした。それでも魚(うつぼ)を見つけては指を差すので私は相槌を打ち、また私が魚を見つければ指差して教えるという距離感でダイビングを楽しみました。

エキジットは、浮上した後ゆっくりボートの方に流されて、ダイビングボートの細いボディとアウトリガーの間に渡したロープを万歳状態で掴んでからラダーを上がります。そしてダイビングでトラブルが起きやすいのがこのエキジットです。慣れた連中を何人かエキジットを促した後、私はロープに捕まりながら彼女に先に上がるようジェスチャーしました。ボート上ではクルーが器材を引っ張り上げたり色々サポートしてくれるのですが、基本的にダイビング素人です。彼女はボートクルーを見上げBCDを脱いで渡そうとしました。私は一瞬信じられん!と思い猛ダッシュして女の子の脇に腕を差し入れ抱え、そして日本語で大きく「ウェイトが先!」と言いました。

彼女は状況が分かったらしく落ち着いてエキジットしました。ビギナーがボートダイビング&リゾートの薄いウェット&オーバウェイトでBCDを脱いだらどうなるか素人でも想像つきます。呼吸源を失った状態であっという間に海底に真っ逆さまです。もしビギナーがそうなったらトラウマになってダイビングできなくなるかもしれません。何事もなくてほんと良かったです。

これまでで一番美しい夕焼け

初日はダイビングが終わると、ボホールの町に繰り出し、スーパーマーケットで買い物をしたり夕食を食べました。17時頃、港の近くのチャイニーズ・シーフードレストラン(Aquarium Fantasy)に入ると客は私達だけでした。ルミスープ、カニチリ、チャーハン、ビーフン、フィリピン風野菜炒め、デザートにハロハロを食べました。
ふと窓を見ると、外が恐ろしく真っ赤です。アロナビーチは南側に面しているので夕陽を見ることは出来ないのですが、ここで見た夕陽、夕焼けは今までの人生で一番美しい光景でした。店の主人も年に何回かこんな日があると言っていました。
徐々に茜は紅に、薄暮は紫に、藍色は群青になり、闇に沈む僅か十数分のパノラマをどれ程見せたいと思ったことでしょう。言葉でも写真でも伝えることが出来ないこの場にいた人にしかわからない光景です。しかもこの時ビデオは部屋に置いてきていました。

フィリピン製の花火を購入

ボホールの街頭で、ニューイヤー用に花火を売っていました。前回セブでの大晦日の晩を知っているため、今回花火を買ってみようと友人が提案したので、一通りの種類を購入しました。スーパーマーケットで店員が呆れるほど中国製の花火を大人買い(外人買い)しました。

以前セブの街頭で大量のロケット花火を購入してボホールに持ち込んだら、「花火持ってスーパーキャットに乗り込んだの!!見つからなくて良かったね。」とコテージのスタッフにめちゃくちゃ驚かれたので今回はボホールで調達することにしたのです。ここから内緒ですが、スーパーで購入した打ち上げ花火だけでは物足り無いので、闇の花火屋で追加購入することにしました。周囲に警邏中の警官がいないことを確認し看板もない真っ暗な民家のような店の扉を開けると初めて照明をつけてくれます。店先には花火が並んでいますが、注文するとその場で店の女の子が紙に黒色火薬を敷き詰めロケット花火等を巻いてくれます。

誰も知らないような闇の店で警官の目を盗んで花火を買うなんて、こんなことしてる日本人はうちらだけだよねえなんて、妙に興奮していました。

ロケット花火は日本製の何倍も大きく期待も膨らみます.爆竹は小さなダイナマイト並みの破壊力があり危険なので購入しませんでした.昼間見たテレビでも,この時期の花火で失明したり,指を吹き飛ばされたりする危険性を放送していました.Aquarium Fantasyの親爺さんも“ボン! You die. ハッハッハッ”なんて冗談を言っていました.

あのジュース屋さんは今…ロザリーは何処に

翌日は、いつものビーチのジュース屋台に行ってみることにしました。以前店の娘のロザリーからエアメールで、お腹の調子が悪いとか、もうビーチで働けなくなったとか、修学旅行にも行けないなんて書いてあったので、心配していたのです。

行ってみるとジュースの店は大きくなっていましたが、見慣れたメニューもあの母娘もいませんでした。やはり実家へ帰ってしまったのでしょうか。ちょっと残念です。

ニューイヤーパーティ

今回、大晦日の晩はボホールで過ごすことにしていましたので、ボホールダイバーズレストランのニューイヤーパーティに参加しました。海に面したいつもの席に座りました。最初にパンチボールからたっぷり汲んで飲んだドリンクがジュースのように飲みやすいカクテルだったのでいきなり酔っ払って、折角のバイキングもあまり食べられず、バンド演奏もディスコダンスも見ずにふらふらと部屋に戻りました。

私達が席を取った後、昼間のダイビングした娘が私を見つけ、隣に席を取り、食事中ずーっと私のことを見つめていたとのこと、私が席を立った後、その背に向かって手を振り続けていたこと、その仕草に両親は微笑ましく笑っていたことなどを後から聞かされました。

午前0時が近づいたとき、コテージのスタッフが爆竹の音で起こしてくれました。花火を持って庭に出ると、スタッフの一家が口々に“Happy New Year!!”と叫んでいます。ジョージを筆頭に花火をやり、フィリピン人特有の陽気さで弾けまくっていました。

翌朝、日の出を見に、5時半頃ビーチに行きました。初日の出は見ましたが、残念ながら美しい朝焼けは見られないまま、朝になってしまいました。

最終ダイブ

朝一のダイビングで出航しエントリー前のブリーフィングで引率のインストラクターが、昨夜飲みすぎて二日酔いだから各自で潜ってくれとのこと。みんな笑いながらそれぞれエントリーしていきました。私もたっぷりバディダイビングを楽しみました。

ボホールからセブへ

ボホールに到着したときから帰省ラッシュで帰りの船便が取りづらい事を聞いていましたが、1月2日19時の便がようやく取れ、タクビララン港に行きました。が、何とエンジントラブルで船が欠航。23時の便にチケットを変更し待合室で待っていましたが、午前0時過ぎにそれも欠航するとアナウンスが入り、急遽タクシーで町に行き、1軒目のホテルに断られ、2軒目のホテル(Chriscent Ville Pension House)にようやくチェックインできました。

翌朝、また港に向かい7時半出航のチケットが購入できましたが、搭乗直前で定員になり船には乗れず、次の11時15分の便に変更した後、町に行ってジョリビーで朝食を食べ、町中を散歩しました。ボホール大学の近くにインターネットカフェがあったので、会社に出社日が遅れる旨メールを出そうと思ったのですが、店の人に説明してもわかってもらえず、店のパソコンに当時公開していた自分のサイトを表示して出て来ちゃいました。持っていた携帯はノキア製の海外専用G2携帯でショート・テキスト・メッセージはできますがeメールを送信することはできないので、メールを出したい時はインターネットカフェを使うのでした。

また散歩を続け、飲料水専門店でミネラルウォーター(Filted Water)を買い、Bake Shopでパンを買って食べ歩きながら町中の散策を楽しみました。

11時15分出航便は1時間遅れで出航しようやくボホール島を後にすることができました。

最後の晩餐はやっぱりいつもの中華レストラン

セブ到着後、昨日無断キャンセルした我等が定宿(Vacation Hotel)にチェックインし、フィリピン航空オフィスに行って航空券を翌日便に変更したら、もう一安心です。それまではいつ日本に帰れるかわからず、不可抗力だから仕方ないよねなんて言いながら職場へファックスを送信する事を考えていました。

セブ最後の晩餐はいつもWhite Gold(白金)かGrand Majesticで、今回はWhite Goldにしました。スープ、ブロッコリーフラワーのオイスターソースかけ、エビチリ、焼きそば、麻婆豆腐、中華風ビーフ等、庶民が知ってるメニューしか頼めないのですが、お腹いっぱい食べました。ウェイトレスの一人が友人に近づき、“トモダチ”と言いながら嬉しそうにしていました(当時セブのフィリピーナの間でプリクラを流行らせたのは私達で、ウェイトレス全員の写真を撮ってあげたものです)。

エピローグ

今回の経験で実感したことは、年末年始は島民も帰省ラッシュになるのでボホール島へ渡るのは避けた方が良いって事。次回年末年始に旅行するならセブ止まりでも良いかなと思いました。

そして、帰国後に年賀状に混じって一通のエアメールがロザリーから届いていました。中にはグリーティングカードにメッセージが書き込まれていて、元気そうでした。

 






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