• 暮らすように旅したい
プロローグ〜初めての海外旅行

 1992年のある日、航空券は旅行代理店からしか購入できなかった頃、ふらりと近所のJTBに出かけて、
私:「この国まで往復のディスカウントチケットが欲しいのですが。」
JTB:「かしこまりました。パスポートをお持ちですか?」
私:「ハイ」と言って真っ新なパスポートを渡す。
JTB:「お客様、海外旅行は初めてですか?」 
私:「ハイ」と元気良く。
JTB:「・・・」暫し無言。「向こうにお知り合いでも?」 
私:「いいえ」と元気良く。 
JTB:「・・・」暫し無言。チケットと共に外務省からの渡航注意喚起のFAXのコピーをくれて「お気を付けて」 
 こうして往復の航空券だけ持って、初めての海外旅行が始まったのです。

いよいよ海外へ

 “地球の歩き方”を熟読し成田空港までの道を調べ、駐車場の予約をし、出発当日です。鞄一つを持って、成田空港へ向かい出国審査を通過すると、ここはもう日本ではないんだという不安に駆られました。なにしろここから先は全て初体験の世界。しかも独りぼっち。私が海外旅行に行くことは、親兄弟、友達、会社の人、誰も知りません。今日泊まる所も決まっていないし、どこへ行けば良いのかも決めていないのです。
 マニラ行きのJAL機内に入ると日本人の乗客は誰もいません。“おお、これが国際線か!”と感心してしまいました。3時間半足らずで現地に着き、地球の歩き方で予習したとおり手続きを行いました。財布からお金を出さないこと(ポケットから直接必要なだけ出します),道ばたでガイドブックを開かないこと、カメラは安っぽい紙袋に入れて持ち歩くか、肩にストラップを巻き付けて脇の下に挟んで持つ等、安全のため自分なりに工夫しました。
 エアポートから外に出た途端、“ウオーッ”という声と熱気が襲ってきました。わかっていたけどやっぱり暑い!しかもこの人の群は何だ!色んな人間がよってたかって片言の日本語のようなもので“ドコイクノ?”,“ダレサガシテルノ?”,“トモダチ、トモダチ”等と言っています。そして“オカネ、オカネ”です。
 タクシーをつかまえ首都に向かいました。初めて見る風景に感激していたのに信号で止まるたびに、人が集まってきて、タクシーの窓をたたきながら、“ガムカッテ”、“アイスカッテ”、“オカネチョウダイ”と来ます。姿を見られないようにシートに伏せていた方が良いよとタクシーの運転手に言われてしまいました。
 繁華街にあるアロハホテルに着き、何とか部屋を取りました。エアコンはうるさく、窓の外は隣のホテルの壁で何の景色も見えないという安宿です。

昼の街

 大きなデパート(ハリソンプラザ)の入り口にはショットガンを持った太ったおばさんのガードマンが立っていて、入口入った所で鞄などの荷物を預けるようになっています。万引きを防ぐためのようです。デパートの中は安全に買い物ができました。1階のフロアではモーターショーが開催されていて、日本車が多数展示されていました。食料品、衣類から電気製品まで品数も豊富で、人で賑わい経済的に何の問題も無いように見えます。街の至る所に大きな映画の看板があり、映画はこの街の娯楽のようでした。「Big Boy Batto(ビッグ・ボーイ・バトー)」というアクション映画がヒットしていたようです。
 レストランやホテルの入り口に「No Brawn out」と書いた大きなバナーがあちこちで見られました。これは発電器を持っていて停電しないよ、ということだそうです。そのくらいこの街は停電が多いとのことでした。

夜の街

 夜出歩くときはなるべく歩かず、僅かな距離でもホテルからタクシーで移動しました。タクシーのボディには“大阪タクシー”等とペイントされたままです。料金メータも日本語表示のまま、壊れていました。タクシーによっては運転席が鉄の檻で囲まれているものもありました。運転手も客に襲われるのが怖いようです。
 店の外にタクシーを待たせたまま(トラブルがあったときすぐ逃げられるようにするためです。本当にそういうことがありました。日本人と判らないように隣の席の現地の客から野球帽を借りて深くかぶり、従業員の誘導でトイレに行くふりをして裏口から出て表通りに回って、タクシーを急かせました。通り過ぎる街灯を伏せたタクシーの中から見上げながら“まるでドラマの様だ”と思いました。)、カラオケスナックでマンゴージュースを飲んでいると、10歳にも満たないような小さな女の子がバラの花を売りに来ました。数本をラップでくるんだだけで50ペソです。100ペソ札を渡したら、お釣りがないと言ってどこかへ行ってしまいました。この国で買い物をしていてまともにお釣りをもらったことがないので、こんなものかと思っていたら、しばらくして外で両替してきたらしく、お釣りだと言って50ペソ持ってきました。私は、この50ペソはあなたへのプレゼントだと言って受け取りませんでした。
 店の女の子の話によると、その女の子は赤ん坊の時、店の前に捨てられていて、それ以来、みんなで育てているとのことでした。

再び昼間

 翌朝、街を歩いていると、路地で木の箱を机にしてアルファベットの書取をしている女の子がいました。昨夜、バラの花を売りに来た女の子でした。学校にも行っていないので自分で勉強しているとのことでした。
 その奥にカラオケスナックの従業員のアパートがあるのですが、水道は井戸で電気もなく真っ暗な階段を登っていくと、左右に部屋が別れていて男部屋と女部屋になっていました。男部屋は薄暗く、二段ベッドに従業員がだるそうに横になっていました。

看護学校の学生

 ロザリー(仮名)という20歳位の女性からこんな話を聞きました。
ロザリー:「あなた、第二次世界大戦知ってる?」
私:「知ってるよ。」 
ロザリー:「日本と私の国が戦争して私の国が勝った戦争よ。」
私:「...」 
ロザリー:「なのに、なぜ日本はお金持ちで、私の国はこんなに貧乏なの?私はそれが許せない。」
ロザリー:「私は、この国を良くするために自分にできることをする。だから看護師になるために学校に通っているんだ。」
 確かにこの街は日米の戦いで戦場になり多くの市民が犠牲になりましたが若干史実を勘違いしているようです。彼女の意見に驚き、彼女の言葉は何時までも私の中に残っています。でも、彼女は今の日本や日本人を憎んでいるわけではありません。それどころか日本人の誠実さに好意を持っているようでした。

あるお爺さん

 シーフードレストランで食事をしていると、お爺さんがいて、お前さんは日本人かい?と半分現地の言葉で聞いてきました。そうだと言うと、私は子供の頃、日本の兵隊さんと一緒にいたことがある、と言って懐かしそうにしていました。そう言えば街のどこかで車窓から大きな日本の兵士の像を見かけました。

ハロハロ

 日本の蜜豆に相当する、この国ではメジャーなデザートです。かき氷にココナツミルクのシロップがたっぷりかかり、色とりどりのフルーツやジェリービーンズが入っていて、アイスクリームやプリンが乗っかっています。これを“ハロハロ(Mix Mix、混ぜ混ぜというような意味)”してスプーンですくって食べます。すごく美味しいし、大抵の喫茶店にあるので、毎日のように食べていました。ある日プリンが乗っていないので昨日はプリンが乗っていたのになんで今日はプリン無いの?と聞いたら運んでくる途中で落とした、だからもうプリンは無い、とのこと。あまりに真っ正直な回答に、はあそうですかと素直に受け止めてしまいました。
また、アリストクラットという24時間営業のファミリーレストランでは、アイスティーが意外に美味しく食事の度に飲みました。この氷はクラッシュアイスを固めた粗目雪の固まりのようになって入っています.あっという間に溶けてしまうけどキンキンに冷えて美味しいです。 
 水道の水は飲めないくせに、こんなに氷を食べて大丈夫なのでしょうか?少なくとも私は平気でした。

成田空港にて

滞在期間はあっという間に過ぎて、帰りの飛行機も日本人乗客は私一人でした。成田で荷物チェックを受けたとき、ショルダーバック1つしかない私を見て、これだけ?と驚かれました。誰にも行き先を告げていないので土産も無く、身軽なものでした。
 この翌年に独りでまたこの国、この街を訪れ、様々な体験をしました。その話はまたいずれ...

 現在ではマニラは危ないところに行かなければ安全に旅行が楽しめます。スクーバダイビングを始めてからは、何度と無くこの国の島を訪れています。そこは観光客に荒らされて欲しくないパラダイスです。

世間には良くある話でした。


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