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ロローグ~2度目の海外旅行
ADMIRAL HOTELのマッチ
ホテルのマッチ

 1993年5月の連休にまたこの国を訪れました。今回も独り往復の航空券のみ持って日本を飛び出しました。
 エアポートを出ると懐かしい熱気と人々の活気で溢れていました。
タクシーを飛ばして懐かしい首都に向かいました。前回はエルミタのアロハホテルに宿泊したのですが、今回はちょっとグレードを上げて、マラテにあるアドミラルホテルに宿泊しました(1階にKAIGUN(海軍)というバーがありました)。

ふたり
ブーツとマリ

 今回の滞在期間中にずっと付き合ってくれたふたりがいました。前回知り合った人の関係者で男の方はブーツ(仮名)と言って30歳くらい、女性の方はマリ(仮名)と言って20歳くらいの恋人同士です。
 毎朝、ホテルに迎えに来てくれてあちこち遊びに行きました。タガイタイのタール湖を見たり、そこで乗馬をしました。乗馬は安い料金で飽きるまで乗れました。係りの人間が付くわけでもなくひとりで好き勝手に馬に乗れます。日本では安全性を理由にこういうことはできないだろうなあと思いました。
 このふたりは本当に仲良く、そして私に良くしてくれました。 
 600ペソでタクシーを1日貸し切り(かなりチップが含まれていますね)、首都周辺の大抵の観光名所を巡りました。

エトランゼ 

 ナヨンピリピノに行った時、入場料が妙に高いので良く見たら、現地人と外国人では入場料が異なりました。現地人はペソで外国人はドル立てです。しかも3倍以上高いのです。後年スロベニアの田舎の博物館に行った時も現地人と外国人では料金が異なったので(当然外国人料金の方が高い)、世間ではそれが普通なのだと思います(公共施設は地元民、自国民のためにあるので自国民の入場料が安いのは当たり前です)。
 街を歩いていると限りなく乞食に近い人たちがが目立ちます.5歳くらいの男の子が全裸で一人ぼっちで立っていました.信号待ちで止まってると近くに歩いてきて,「僕、可哀想でしょう?」と日本語で言います.周りの人たちはガン無視、私もその場を離れました。街中で一人にお金をあげた瞬間に大勢の人達が群がってくるかもしれないので、無闇にお金を上げるべきではないです(現在はそんなことはありません)。

日常会話

 ブーツもマリも片言の日本語を話します。ある日、ブーツが「あなた、車は何に乗っていますか?」と言うので、「○○だけど」というと、「良いな、僕も今度それ買おうかな」と言っています。彼が本気でそう言っているのかわかりません。私だってローンで購入したのですから。今の彼の職業では買えるはずもないのに、そう思うと心が暗くなりました。
 別の日、ブーツは、「あなたは自由にこの国に遊びに来れて良いですね。私達は自由に日本に行くことができないのに。」と言いました。これは金銭的な問題は勿論、日本が彼等に対しなかなかビザを発行しないからです*
 彼等に対し観光ビザは滅多に発行されません。可能性があるのは就労ビザでこれをもらうために色々お金がかかったりします。
 毎日、仲良く一緒にいるのに、国は違えても個人同士では仲良くなれるのに、国家間の経済格差は埋まらないのです(今では経済政策の失敗ですっかり日本経済は衰退しているのでこんなこと考える必要ないですね。)。
 海外に遊びに行ってボッたくられるのは金持ちの国の人間の義務ではないのか、そんなことを考えるようになっていました(この時は本当にそう思っていました)。

* 彼/彼女達が日本に来る場合、多くはプロモーター(芸能プロダクション)に所属して言葉やマナーや仕事に応じた様々なことを学びながらビザが降りる日を待ちます。実はパスポートもプロダクションが用意して、ひとつのパスポートを複数人で使い回すこともあります(昔の話です)。

最終日

 毎日目が覚めるまで寝て、起きては遊びに行き、好きな物を好きな時に好きなだけ食べて、夜は3時過ぎに寝るという生活を続けていると、なんだかこの国に住んでいるような気になってしまいます。そして滞在期間はあっという間に過ぎ、仕事と喧噪が待っている日本に帰る日がやってきました。 
 空港で別れ際に、あなたはもうこの国に来ない方が良い、と言われました。僅かな滞在期間にお金を使い過ぎると言うのです。私にとっては観光旅行として必要なお金を持って来ているに過ぎないつもりだったのに、金遣いが荒いと見えたのでしょう。今から思えば確かに贅沢していたように思います(今でもこの国に何度か訪れますが、すっかり貧乏旅行を楽しんでいます。)。

エピローグ~日本にて 

 1993年冬、雪が降りそうな寒い日に会社から帰ると留守番電話にブーツの声が入っていました。
マリと共に日本に働きに来ていたそうですが、仕事先とトラブルをおこしたらしくランナウェイしたようです。自国に帰ることもできないはずで、何処に行くというのでしょうか。

 “マタ電話シマース”という抑揚のない声を最後に、ふたりは何処かへ消えていきました。

 こんな話は、世間には良くある話なのでしょう.


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